気まぐれ日記 2015年1月
2014年12月はここ
1月1日(木)「遅い初詣・・・の風さん」
昨夜は頚椎症が痛くて仕事ができないので、首を動かさないようにして紅白歌合戦を観た。こんなに長時間紅白歌合戦を観たのは学生時代以来かもしれない。
紅白歌合戦が終わって、頚椎症が落ち着いたら、これも初めての試みだが、近所の氏神様へ初詣に行こうとワイフと相談していた。
ゆく年くる年の時間になる頃には痛み止めが効いてきたのだが、屋外の風がひどくなっていた。年末年始は全国各地が寒波に襲われるという予報だったが、ついに当地もそうなったかと思った。直近の天気予報をチェックすると、明日の昼まで当地(名古屋地方)は雪になっていた。
何しろドイツから帰って来てから風邪をひいた肉体である。ぶり返したら、まずい。
相談して、初詣は、例年通り、元日の午後にすることにして、昨夜は午前2時に就寝していた。
やはり体力が低下していたのだろう。起床は、今朝とは言えない午前11時だった。
すぐに雑煮を祝うことになった。
親友が送ってくれた(とっておきの)秋田の純米大吟醸を開けた。
おせち料理を詰めた重箱は、私が小学生の頃からなじんでいるもの、つまり亡き母からワイフへ伝承されたものだ。
もう50年以上になる逸品である。
こういう重箱を眺めていると、江戸時代の武家屋敷の台所や納戸を想像してしまう。その家の伝統というか家宝のような食器や什器、衣類などである。
近年の住宅事情からすれば、こういったものを代々受け継ぐのは至難の業だろう。
我が家は3人の子供たちが育った家でもある。そのうちリノベーションをして、私たち夫婦が死んでもしばらくは子供たちが利用できる構造にしておきたいものだ。そうすれば、古くても使える良い品物は、しばらく保管場所・利用場所に困らないだろう。
秋田の極上のお酒に酔って体を休めている間に、雪が降り出した。
ワイフの友人からワイフのiPhoneに「飼い猫が初めて家から脱走した」というメールが入った。
やがて、雪があられになった。大粒のあられが、音を立てて屋根に当たって庭やウッドデッキの上にすべり落ちる。
脱走した猫はどこかで身を縮めているのではないか。
夕方になって雪もやみ、やっと近所の氏神さまへワイフと出かけた。
途中で出会った人と「おめでとうございます」と声をかわすのがはばかられるような遅い初詣である。
日が暮れて足元が見えにくい石段をのぼって氏神さまの境内に入った。
人っ子一人いないが、灯明だけはともっていた。
わたしの二礼二拍手一礼は、無念夢想だが、今年こそ大きな自然災害のない年であってほしいものだ。
帰りに追加印刷した年賀状を10通投函し、コンビニで初ショッピングをしてから帰宅した。
1月2日(金)「ワイフの実家へ新年の挨拶・・・の風さん」
昨夜はもうすぐ出るマイスタディ講座の文集用の掌編小説のデータ化をし、事務局へメールで送信した。
マイスタディ講座は終了したが、新年会を機に中断していた文章サークルを復活させようと思っている。マイスタディ講座から何人か、文章サークルの新メンバーが生まれるといいなと思う。
迷っていた買い物があったのだが、昨夜とうとう思い切ってアマゾンで発注した。楽天で注文してもよかったのだが、配達日時指定が必要だった。
今日は9時に起床し、トーストとミルクで朝食後、キャメロンで出かけた。コーヒーと灯油を買うためだ。
10時に帰宅し、すぐワイフと長男を連れて、ワイフの実家へアクアで出かけた。新年の挨拶が目的である。
新年2日目で、もう娑婆は活気づいている。クルマが多い。
ワイフの実家ではいつものように御馳走攻めで歓迎してくれた。
私は時間をかけて日本酒と缶ビール1本を飲んだ。
ドイツで撮った1000枚を超える写真をデジタルフォトフレームで見せながらワイフと二人で思い出を語った。写真を見るだけで今回の旅行の楽しさを義母がすぐ共感できるのは、一緒にヨーロッパへ行ったことがあるからだろう。義父も長男も海外へ行くことにはかなり抵抗がある。できれば義母をまたヨーロッパへ連れて行きたいものだ。
痛み止め薬を飲んでいるので、何とか頚椎症はおさまっていて、夜にはワイフの運転で無事帰宅することができた。
明日は長女が日帰りで帰省してくるので、早起きするため、今夜は早目に寝ることにした。
1月3日(土)「今日も密度の濃い1日・・・の風さん」
目覚ましを8時半にセットしてあったのだが、なぜかアラームが鳴らず、9時に宅配がチャイムを鳴らしたのに気付いて、ベッドから転がり降りて玄関へ向かった。一昨日の夜発注したDVDが届いたのだ。
ベッドに戻って目覚まし時計を調べると、アラームのセット時刻はなぜか12時になっていた。理解できない。やはりボケが出始めている。
昨日は栄養を摂取し過ぎたので、朝食抜きで重要な手紙書きに取り掛かった。
書き終わらないうちに長女が帰ってきた。
家族で長女の待望の雑煮(母から伝わっている我が家の味だ)を食べた。名古屋地方の雑煮はとても質素だが、我が家の雑煮は具がたっぷりで、調理師免許を持つ長女は気に入っている。
それから今朝届いたDVDを観た。「アナと雪の女王」である。ワイフが友達から借りてきたDVDを私は3回完璧に鑑賞したが、ワイフはその都度途中で寝てしまい、全ストーリーを把握していない。今日こそ目を覚ましていてすべてを観てもらうつもりだった。
こうして、私は通算4回目、長女は2回目、ワイフは初めて全ストーリーを観た(笑)。同梱のブルーレイディスクを長女に貸した。
続けて、久しぶりに帰省してきた長女を歓迎するため、世界最小のラジコンヘリ「ナノファルコン」(注:昨年さらに小さい「ピコファルコン」が出たが)を取り出してテスト飛行した。うまく飛ばすことができたので、これでイタズラ小僧のちび助をからかってやる。できれば動画撮影してフェースブックにアップしたい。
コーヒータイムの後、手紙書きや送らなかった年賀状印刷を終えた。
夜はサンルームで焼肉パーティをした。
食後に長女が東京で買ってきた羊の模様入り年賀カステラを食べ、それからワイフのアクアで名古屋まで送って行った。
有料道路は非常に空いていたが、信じられないことに事故で封鎖があったらしく、途中で2kmの渋滞があった。
帰りに郵便物を投函して、今日の仕事を終了した。
1月4日(日)「ワイフとウォーキング・・・の風さん」
京都へ帰る長男は今年3月で卒業する……というか、いよいよ社会人である。26歳で社会人になるのは私と同じだが、正社員として企業に勤めながら作家を目指した私と違い、彼は、非正規の仕事をしながらアーチストを目指そうとしている。これは相当な覚悟が必要なのだが、本人はまだそのへんが分かっていない。どうやら想像できないらしい。
起きてすぐ、寝ながら考えていた資料を作成した。国民健康保険や国民年金への加入などについて、最低限考えるべき事柄を列記した。
出発する前にワイフと一緒に、今後の心構えを話したが、やはり覚悟はできていないようだ。彼の将来のためには、苦労する最後のチャンスかもしれないと思った。私の場合は企業に就職したことで、とんでもない苦労が始まったのだが、それは本業作家になるには遠回りだったような気がしないでもないが、人生の勉強という点では、私にはそれが最短だったような気もする。彼には、私と状況は異なっても、苦労をさせてやることが大切だと思った。
今日もたまっている仕事を少しでも片付けようと頑張った。閉まらなくなった浴室のドアの応急処置をした後、トレーニング記録用紙を作成した。これは筋トレ用なのだが、しばらく通わないでいるうちに記入用紙がすっかり変わってしまい、使いづらいので、昔の記入用紙を自分で作成したのだ。
夕方暗くなってから、ワイフの提案で近隣のウォークに出かけた。運動不足で筋力が低下していると本人は思い込んでいるので、とりあえずワイフがしたがっているウォークに付き合うことにした。衰えた筋力を復活させるには、相当の負荷をかけて筋肉細胞を破壊するほどでないと効果がないと私は思っている。だから私は筋トレに行こうとしているのだが、ワイフの場合、ウォークでどれだけの効果があるのだろう。
既に日没だったが、風も吹いてなく穏やかな空気の中、早足で海岸へ向かった。
風がないのに、不思議なことに波打ち際は「どどーん」という音を立てて、波が押し寄せていた。
空には満月に近い月が出ていたので、外は真っ暗ということはない。
今日最も遠い地点にスーパーがあったので、ちょっと買い物をしてからUターンした。
約1時間のウォークを終えて帰宅する頃には、ダウンジャケットの下は汗をかいていた。
まもなく夕食になり、その後、ワイフが第1回目の大河ドラマを観るのに付き合った。こういう作品は若い役者がたくさん出ているのがいいな。
少し迷っていた昨年12月の某企業の見学報告書を、いつ会社に持って行けるか自信がなくなったので、必要最小限をpdf化し、メールに添付して元同僚らに送った。
1月5日(月)「ウォーキングの途中で逆上がりに挑戦・・・の風さん」
昨夜の疲れではないが、たっぷり寝たため、起床は10時頃になってしまった。
昨夜のウォークの途中で買った食パンとヨーグルトで朝食にした。
気になるメールをいくつか出し、ハガキも書いたところで、早くも今日のウォークの時間が迫ってきた。昨日はあまりにも出発が遅すぎた。
まだ明るいうちにワイフと家を出た。
昨日と同様に先ず海岸へ向かった。
今日も風のない日で、波も穏やかだった。夕凪である。
また、昨日と違って月はまだ昇っていなかった。
昨日よりも少し遠くまで海岸を南へ歩いてから、戻り始めた。ケーキ屋は覗いたが何も買わなかった。スーパーの前を通ったが、今日は寄らなかった。午前中に書いたハガキを投函した。
住宅地に入ったところで、昇り始めたばかりの月が見えた。赤黒い月だった。
自宅の近くの小さな公園の横を通った時、ワイフが鉄棒を見て「もう逆上がりなんかできないでしょ?」と言うので、ダウンジャケットを脱いで「えい!」とばかりに地面を蹴ったら、あとわずかというところで失速して、さかさまにぶら下がって止まってしまった。
仕方ないので、そこで中止して、明日また挑戦することにした。今度は軽くできそうだ。と内心自信がわいた直後、足が少しつった(笑)。
帰宅して、iPadminiで「アナと雪の女王」を鑑賞した。これで通算5度目である。
夕食後、また手紙書きをした。
明日は早起きしてもっと大変な仕事をしないとピンチになるな。
1月6日(火)「早くも仕事がピンチ・・・の風さん」
週末にかけてスケジュールの密度が急激に高まる。年末年始と休みなく仕事もこなしてきたのに、早くもピンチになっている。
朝から小雨がぱらついていて、こういう時は、しゃにむに仕事を処理していかねばならない。
明日の打ち合わせの事前課題を検討し、回答をメールで送った。
週末は大阪まで行くので新幹線のチケットを予約した。
名刺が不足しているので補充印刷をするとともに、筆名・本名併記タイプの更新をした。これにより作家専用名刺は廃止していく方向である。
来月のセミナーの準備の一環で、宿題になっていたフレームワークを考え、バージョン1として事務局へメールで送った。
木曜日の非常勤講義の準備をするとともに(これはけっこう大変な作業で、実際に終わったのは深夜)、来年の時間割について検討結果を本山キャンパス事務室へ連絡した。
夕方までに雨が止み、さらに日が差してきたので、ワイフにウォーキングを提案した。少々ビックリしていたようだが、必要に迫られているのだろう、行くことになった。
海岸に近付くにつれて風が強くなってきて、波打ち際だけでなく沖合まで白波が立っていた。昨日よりさらに遠くへ行くのはやめて、スーパーに寄って買い物をして帰ることにした。
自宅の近所の小さな公園に寄って、また逆上がりに挑戦した。今度こそ、と思いきり大地を蹴ったつもりが、昨日と同様に鉄棒に逆Vの字で引っかかった状態で停止した。上体が重くなっているため、せっかく鉄棒に乗れても、そこから回転できないことに気が付いた。
もう一度挑戦した。同じ状態になった。原因は明らかなので、そこから無理やり体をひねってとにかく逆上がりを完結させることにした。
できた。しかし、一気に回転するためには、上体のウェイトを減らさねばならない。今年の筋トレの課題は、筋肉復活だけでなく、減量も同時に達成することになる。
夕食前に3日の夜投函した手紙の送り先の方から電話があった。私が長年勤務した会社の元トップである。ハガキか電話での反応を予想していたので、驚くことはなく、それより先ず反応があったので嬉しかった。
手紙ではこれから起こそうとして私の行動に対する助言を求めたのだが、期待通りに先ず私の背中を押してくれた。それから色々な助言の言葉を頂戴できて、今から25年以上も前の上司と部下の関係のようになり、懐かしさもあったが、身の引き締まる思いだった。
夜、この電話の経緯を現役のトップにメールで初めて伝え、元トップと同様に賛成してほしいとお願いした。
1月7日(水)「涌井先生の傑作本・・・の風さん」
寝坊したので朝食はホットミルク1杯。
昼食にインスタントのカレーうどんを食べて、名古屋へ出かけた。
昨年刊行した共著『工場長の教材』を利用したセミナーの打ち合わせがあったのだ。打ち合わせが終われば、夜、懇親会があるので、私は新刊『星に惹かれた男たち』のPR販売をしようと思い、サイン本を抱えて行った。
3時間の打ち合わせはいつものように中身が濃く、募集をかけて受講生が集まれば、良い研修ができそうだった。時期は今年6月を予定している。
お馴染みのメンバーなので、懇親会は盛り上がり、私はドイツの土産話である「招き猫をホテルに持って行った」話をした。そして、その後、新刊の解説をし、半分押し売りに近い感じで(知り合いが本を出したのだから買ってよ、みたいな訴え方で)3冊買ってもらった。
帰宅したら、注文してあったかぶれないヘアカラーと、東京農工大の涌井先生の新刊『エンジニアのための失敗マニュアル』(コロナ社)が届いていた。
涌井先生の本は驚きだった。先生と学生のやりとりを面白く書きながら、現代の若者に常識を教えようという内容になっている。それにしても笑える内容ばかりだ。よくこんな本をコロナ社が出してくれたと感心するより不思議でしょうがない。
子供のころから工作や実験をほとんどしたことがない、そこまで言わなくても、自分で指を怪我しながらでも何かを作った経験のない若者を相手にしている方は、ぜひこの本を買って、先ず自分で読んで楽しみ、次にその困った若者に与えて読ませると案外効果があるかもしれないと思った。
1月8日(木)「ボケを心配する風さんの巻」
今日も寝坊したので、朝食はホットミルク1杯。
昨年暮れに受けた取材が当地の新聞記事になった。記者さんには迷惑をかけたが、言いたいことをたくさん言わせてもらい、それらを見事な手腕で記事に結晶させてくれたので、私としては非常に満足した。感謝、感謝。
昼食に菓子パンを食べて、キャメロンで家を出た。
愛工大自由ヶ丘キャンパスに、田村先生を訪ねようと出発したのだが、天気が悪くないのに、クルマが多い。1時間45分もかかってしまった。
新年の挨拶とドイツの旅の報告をしたところで、もう時間がなくなってしまった。
慌てて本山キャンパスへ移動し、配布資料をコピーした後、非常勤講義に取り掛かった。
ところが、ここでとんでもないことに気付いた。一昨日用意した講義資料を書斎の執筆マシンからUSBメモリに移し忘れていたのである。
仕方なく配布資料に基づいて口頭で授業をやった。これもなかったらどうなっていたのか。
続けて、この授業の特徴であるエクセルによる演習だが、また以前と同じもたつきをしてしまった。書斎ではWindowsマシンで資料を作ってあるのだが、講義ではMacbookAirである。このMacbookAirで事前に確認してなかったので、ややみっともなかった。
講義後、ひと休みしてから家路についた。帰りの道路の混雑状況はいつもと同じだった。
それにしてもせっかく用意した講義資料をUSBメモリに入れ忘れるなんて、やはりボケが進んでいるのだろうか。いずれにせよ、こうやって自分でボケではないかと言っているうちはまだ軽症で、そんなことはない、と主張し始めた時は手遅れだ。悲劇が始まる。本人ではない。家族や周囲だ。どうしよう、そうなったら。せっかく自分の取材記事が新聞に掲載された記念すべき日だったのに、最後は悩みで終わろうとしている。
1月9日(金)「自主講演・・・の風さん」
今日はJMAの生産技術マネジメント研究会がある。年度末の最終報告会へ向けてだんだん熱を帯びてきている。今日は、その中間報告会のためのミーティングが用意されていた。
途中までキャメロンで行き、名古屋まではあと電車で行った。
午前中のチームの議論を聞いていると、各人の成長に感動する。わずか4ヶ月ほどの間に、これほど意識が高く、広くなっているのは、元々彼らの素材がいいのか、それとも研修プログラムが充実しているせいか、その両方なのか、いずれにしても驚くべきことだ。素晴らしいことだ。
このチームのアドバイザーは、名大の教授と私が担当しているのだが、午後からはほとんどチームメンバーだけで議論が進んでいった。
夕方までに、今日の目標ゴールに達し、私の時間になった。作家としての講演である。
これまで私は自分が作家であることは明らかにせず、ベテラン生産技術者としてアドバイザーをしてきた。
ノルマの講演では、生産技術者も(競争戦略を考える上でも)マーケティングについて知るべきだという話をした。
先月の某社との交流会では、某社の希望もあって、日本はやはり技術開発を大切にすべき、というボランティア講演をした。
今日は作家として、新刊のPRも兼ねて、イノベーション(技術の画期的な進展)には、学際的交流(刺激)と技術伝承(師弟関係)が重要だという話をした。自主講演である。講演後は講演内容よりも、私や作家活動に興味が湧いたようで、プライベートな質問が多かった。しかし、持参した8冊が完売したのは嬉しかった(笑)。読んでくれれば、さらに聞きたいことが増えるだろう。
帰りに東急ハンズで買い物をして帰った。
1月10日(土)「メヒナ&スティーブン作品展見学・・・の風さん」
朝から少し雨が降っていた。
昨年地元で開催したマイスタディ講座「原稿用紙1枚からはじめる小説作法」の成果である文集を来週配布する。
その編集作業をサポートするため10時過ぎに図書館へ行った。
既に提出原稿はすべて集まっているというから、聴講者の熱心さを感じた。なるべく残したくなる文集に仕上げたい。
体裁や構成などを相談しているうちに、だんだん私の提案が基本になってきたので、私も真剣になった。
最後はコピーをとって、それらをそろえてホチキス止めになるのだが、縮小コピーで両面印刷したものが各ページになるので、1枚も無駄が出ないように設計図を作ることにした。その作業に夢中になってしまった。
結局、午後1時近くまでかかって、やっと設計図が完成し、あとを文章サークルのメンバーに託した。
急いで帰宅し、ワイフと高浜市にある「かわら美術館へ」向かった。同じ町内に住むアーチスト夫妻、メヒナ&スティーブンの『土の物語』の展示が明日までで、もう今日の午後しか見る時間がなくなってしまったのだ。
この美術館に来るのは2回目で、前は何年前だったか覚えてないくらい昔だ。
朝からほとんど何も食べていなかったので、レストランでランチしてから展示を見学した。
夫婦の作品を生で見るのは初めてで、粘土を主な素材としながら、木材や金属も混ぜ合わせて、様々な色と形に表現されていることに驚いた。
しかし、今日最大の衝撃は、14年かけて準備した壮大な作品「山の広場」の最終工程が昨年の8月だったことだ。DVDを見ると、町長までお披露目に出席しているというのに、私たち夫婦はそのイベントを全く知らなかった。
少子高齢化は住居地も例外ではなく、子供たちの数は年々減っている。おまけに若者が集まる大学が一つ町内にあるのだが、その中の2つの学部が近々東海キャンパスへ移ることも決まった。学生アパートのいくつかはなくなるだろう。電車で通学する大学生も減る。地元の商店では売り上げが減るに違いない。
せっかく同じ町内に素晴らしいアーチストが住んでいて、歴史に残る作品を作ってくれたというのに、その重要なイベントを知らされていなかった。このままでは、遠からず住居地はゴーストタウン化するであろう。
そういった危機感を抱きながらも、作品には感動して、家路についた。
1月11日(日)「勉強になった近畿和算ゼミ・・・の風さん」
昨夜は遅くまで今日の講演の準備をしていたので、就寝は今朝の4時ころだった。
9時に起きて、ワイフに駅まで送ってもらい、新幹線を乗り継いで、大阪まで行った。
近畿和算ゼミに参加するのは久しぶりだった。たくさんの参加者がいたし、お馴染みの会場だったので、懐かしさを感じた。
基本的に新刊のPR講演だが(講演料も交通費ももらうわけではない、参加料を払って、PRさせていただくのだ)、聴講者がほとんど数学の専門家であり、関西人が多いので、講演内容はそれらを配慮する。
新刊は天文暦学史の本だが、和算の関係者も出て来るし、関西人が多いということを強調した。
幸いにも私の講演内容が受け入れられたようで、7冊も購入してもらえた。
他の方の講演(和本の話、円に内接する正多角形を作図する方法、最上流会田安明自筆本の話)も非常に勉強になるもので、収穫の多い近畿和算ゼミだった。司会の先生から「もっとたくさん来てください」とリクエストされてしまった。実は、地元名古屋の数学史ゼミすら、参加できないでいるのだが。
新大阪駅で、久しぶりにぶた饅を買って帰り、それが夕食になった。
1月12日(月)「いちおう祝日の成人の日・・・の風さん」
今日は成人の日で、祝日。サラリーマンでなくなったことで、34年ぶりに祝祭日を意識する生活が始まったが、まだ慣れない。
地方に住んでいるので、少子高齢化が非常に気になる。あらゆるインフラの都市集中は緩和されていない。地方分散しても国全体の少子高齢化は進んでいく。
今のところ成人式に集まる新成人の数は100人を超えているが、遠からず100人を割り込むだろう。そうなる前に、社会人になる若者の多くは、地方でなく都市を選択する。地元に根をおろさなくなるのだ。
やることが多くて気が遠くなるが、一つずつ着実にこなしていかねばならない。
週末に完成させる文集に載せるメッセージを書いた。原稿用紙1枚分(20文字×20行)である。メールで送った。
秋田の同級生にもようやく手紙を書いた。それを投函するついでに、ガソリンスタンドに灯油を買いに行った。
世界の原油価格の低下の影響で、灯油も安くなっていた。まだまだ下がるに違いない。今年の冬はとても助かる。
今年最初の筋トレに出かけた。昨年の12月19日以来で、その直後に風邪をひいて、そのままトレーニングルームは年末年始の休みに突入していた。
頚椎症という爆弾を抱えているので、慎重にメニューをこなしていった。
帰宅し、これも今年最初のヘアーのカラーリングをした。
就寝前に、元日に購入したマッサン・ウィスキーを開け、チョコレートをつまみに少しだけ飲んだ。
色々なことをしているが、精神的に余裕がない。なので、祝日を感じられないまま、1日が終わった。
1月13日(火)「今日はウォーキング・・・の風さん」
昨日に続いて、今日も8時間の睡眠をとって起床した。頚椎症が良くないので、体をかばっている。
しかし、起きて動き出したら、意識してトレーニングした広背筋が痛い。昨日のトレーニングの効果が出ていて嬉しかった。
その勢いで、先ず、依頼原稿執筆のための準備として事例を読んだ。
続いて、木曜日の非常勤講義の準備をした。講義資料はほぼできたので、あとレポートを読んで評価すれば準備は完了する。これは木曜日の午前中にしよう。
土曜日の講演の準備も開始した。新刊のPRが狙いの一つだが、聴講者のためにカスタマイズする必要もある。毎日少しずつやっていけば、完成させられるだろう。
今日はトレーニングルームがお休みということもあるが、ワイフの体が空いているので、ウォーキングに出かけた。
強風が吹いている中、かなり遠回りをして海まで行った。寒くて顔をかじかんだ。
ビジネススクールで教えを受けた大中先生の電子書籍をやっと読み始めた。書評のようなものを書いてアップロードする約束をしているので、真剣に読まねばならない。今日はとりあえず冒頭の部分。
あ、そうだ。どうやって読んでいるかというと、キンドルソフトをiPadminiにダウンロードし、電子書籍をAmazonで購入してあった。今後もじゃんじゃん電子書籍を購入するかというと、その気はない。やはり書籍は紙に限る。単なる情報としてだけ必要な書籍なら電子書籍でもいいが、そもそもそんな書籍を読む時間がない。
起床後のトイレでは、英語の本を読んで勉強している。もう1年以上継続している。
就寝前のベッドでも何か読んでいる。ベッドサイドには書棚があって、本があふれている。
1月14日(水)「花粉症か風邪か・・・の風さん」
昨夜就寝前に久しぶりに執筆マシンのDドライブの完全バックアップを仕掛けた。
起床して確認すると当分終わりそうもない。
地元の新聞の1面下にまた『星に惹かれた男たち』の広告が出ていた。今度は大きい。しかも8日のコラム「ひと・仕事」で紹介されたことも引用してある。出版社の力の入れ方を感じた。
続いて、文化欄に清水信先生の「中部の文芸」が掲載されていた。もしかして、と思って読み進むと、いつものように鳴海風の新刊として紹介されていた。ありがたい。
書斎に入ったが、まだバックアップが続いているので、別の仕事をすることにした。
日本数学協会の機関誌「数学文化」に私の掌編小説が掲載されるのだが、その初稿の校正をした。
午後4時半過ぎにやっとバックアップが終わった。16時間半以上もかかった。
今日は夕方からトレーニングに行く予定だったが、実は朝からくしゃみと鼻水がひどく、花粉症か風邪か判断できかねていた。
仕事の途中で書斎の椅子にもたれたまま居眠りしてしまったため、もしかすると風邪かもしれないと思い、トレーニングは断念した。
しかし、校正の終わった初稿は投函してきた。
花粉症の薬と風邪薬と両方を服用し、夜になって症状がおさまってきた。しかし、どちらが原因だったのか分からずじまいだった。
1月15日(木)「老化かボケか・・・の風さん」
朝から冷たい雨が降っていた。くしゃみと鼻水はまだ不安が残っていたが、薬を飲むのはやめた。
午前中、秋田の友人に手紙を書いた。
今日は非常勤講義があるので、途中で手紙は投函した。
本山キャンパスに着いたのは講義が始まる直前で、配布資料のコピーを急いでやらねばならなかった。
ところが、この配布資料、全部で6枚なのだが、3、4枚目のコピーを忘れたまま講義を始めてしまった。だいたいすぐに気が付かないところからどうかしている。やはりボケか。
先週の講義では、講義資料を持ってくるのを忘れたことをさかんに謝ったが、今日もおかしなことが起きた。
USBメモリに入れてきた講義資料(配布資料よりもスライドの数が多いもの)をMacbookAirで開くと、なんと配布資料と同じものだった。
一昨日の夜作った講義資料はどこへ行ったのだろう?
iPhoneも自宅に置いてきてしまったし、やはりボケか。いや、間違いなくボケのようだ。
講義が終わって、講師控室でドリップコーヒーを淹れて飲み、気持ちを落ち着かせようとした。
東京ビッグサイトではオートモーティブワールド2015が昨日から始まっている。名古屋では今日からJMAの第一線監督者の集いが始まっている。退社して時間があるはずなのに、どちらへも行けない。
老化するとすべての行動の効率が落ちる。ボケだけではない。
1月16日(金)「睡眠十分でボケは出るか・・・の風さん」
今日も8時間の睡眠で起床した。睡眠十分だとかえってボケ症状が出るのか、今日は興味深い。
天気予報通りに快晴だった。
勤務していた会社の元副社長の奥様へお礼状を書いた。伝えたい気持ちもあった。自分が還暦になっても、そして既に亡くなられても先輩の激励というのは勇気の元になる。
その手紙を投函してから図書館へ行った。製作完了間近の文集のサポートをしたかった。
そこで、自分の過去のボケに直面してしまった。A5横サイズの文集を製作するため、A3の表裏印刷レイアウトを私は得意げに設計したのだが、最後の製本作業を複雑に設計してしまったことに気が付いたのである。かえって手間がかかるレイアウトだった。もっと単純でよかったのだ。
内心落ち込んだが、ひたすら自分の失敗を認めて謝罪することで、その衝撃を隠した。
最後の作業をお願いして帰宅し、ワイフとウォーキングに出かけた。
今日は山の斜面を下るルートを選んで、やはり海へ出、スーパーで買い物をして戻ってきたが、少々疲れた。
昨日、今年の読了第1号が出たが、第2、第3、第4号の候補になる本を少しずつ読んだ。
過去のボケは確認されたが、今日のボケはなかったような気がする。
1月17日(土)「早朝講演と飲み会の後は・・・の風さん」
目覚ましで午前5時起床。もちろんまだ夜中の延長線上だ。
荷造りは終わっていたので、5時45分にキャメロンで出発することができた。朝食は摂っていない。
真っ暗な一般道を走ったが、意外とクルマがたくさん走っている。平日なら通勤で間違いないだろうが、どう見ても、これらのクルマは通勤だ。
土曜日でも早朝から働いている人は多いのだ。現実を見ることは重要だ。
7時から名古屋の某ホテルで講演しなければならないので、ひたすらアクセルを踏み込んだ。
名古屋の市街地に入り、目的地まで13kmとなったところで、名古屋高速にのった。そうしないと間に合わないからだ。
6時40分頃だったが、名古屋高速もクルマが多かった。
昨年の7月と同じ勉強会グループの招待による講演である。つまり半年ぶりの講演であり、聴講者の積極的な勉強姿勢を肌で感じて知っているので、講演はやりやすい。もちろんそれを意識してカスタマイズしてある。
さらに、前回は与えられた1時間をかなりオーバーしてしまったので、今回はレジュメを増やし、現物の参考資料も持参して、PPTのスライドを(情報密度もいくらか減らして)44枚に絞り込んだ。1枚1分半くらいのイメージである。
ところが、喋り出したら、悪い癖で長広舌になり、結局1時間20分も費やしてしまった。また反省材料ができた。
それでも、講演内容は受け入れてもらえたようで、新刊をたくさん購入してもらえた。
講演後は、恒例のホテル朝食バイキング。和食を選んでやや軽くし、食後はコーヒーを飲みながら、交流に努めた。博識の方が多いので、興味深い話題が続いた。まだまだ勉強しなければならない。
帰宅してから約2時間の昼寝をしなければならなかった。
夕方、文章サークルのメンバーの迎えがあって、サークルの新年会と昨年のマイスタディ講座の打ち上げを兼ねた飲み会へ出かけた。
完成したばかりの文集(文章サークルの文集としては創刊号になる)が配られ、出席者の満足の声が多く聞かれた。企画メンバー(文章サークルのメンバーだが)のお蔭で、今回は大きな成果が得られた。マイスタディ講座で文章作法の経験をした人の中から、一人でも多く、新たなメンバーとして参加してもらいたい。
飲み会の会場は、魚介類のオンパレードで、私は生中を2杯飲んだが、ビックリするほど低料金だった。
また、メンバーに自宅まで送ってもらったのだが、私が自宅を出た後、女子会に出かけたワイフはまだ戻っておらず、家の鍵を忘れた私は、庭にあるトール教室に使っているログキャビンに入って石油ストーブをつけ、iPhoneでラインゲームに没頭してワイフの帰宅を待つしかなかった。
1月18日(日)「住居地が直面している現実・・・の風さん」
昨日配られた文集を清水信先生へ送る準備をした。原稿用紙1枚で勉強ができるというのは、なかなかすごいアイデアで、4年前に始めた文章サークルから使っている。この方法を教えてくださったのが清水先生なので、ささやかな文集ではあるが、報告したくて手紙を書いた。
長女が同級生のバースデーパーティーに出席するため、我が家に寄った。いつもお菓子のお土産をどっさり買って持ってくる。今回は、それに加えて、昨年12月のドイツ旅行の写真集を作って持ってきた。まだ空白のページがあって、そこへ入れる写真を、私の執筆マシンのフォルダーから選択しているうちに、時間切れとなった。
今日は午後、住居地の自治会の臨時総会があるのだ。新年度に組長をやることが決まっているので、今回の会則変更を審議する臨時総会には、出席しておく必要があった。
事前配布資料で、何が議題になっているかは、分かっていた。もめそうな内容である。配布資料に説明不十分なところが多々あるので、質問がたくさん出る恐れがある。しかし、私は反対する気はなかった。現実を考えたとき、よく検討された政治的な判断が会則変更になっていることが推定できたからだ。私の考える現実とは、地元の衰退である。
私が住んでいる団地は、どちらかというと他所から移ってきた人が多い。土着民ではない。団地はできて30年ぐらいが経過している。我が家を振り返ってみてもすぐ分かるが、子育てが終わるころ、その子供たちはここには定住しない。なぜなら地元はどんどん寂れていくからだ。やがてこの自治区は老人区になる。
この団地以外は歴史ある土地で、住民は代々ここで暮らしている。しかし、そうは言っても、少子高齢化は着々と進行している。
どんどん人が移り住むようになって発展した団地は、これからはしぼんでいくだけだ。10年、20年先には存在感がなくなってしまうだろう。
そういうときに、理想的な自治はますます困難になっていくことは明白である。
総会が始まって、案の定、理想論、べき論、感情論が根底にある質問が殺到した。
実に2時間半の質疑応答があって閉会となった。
質問した人たちは、私たちがやがて迎える現実をどれだけ予想できているのだろうか。
今回の会則変更案を作成した役員の方たちのご努力に頭が下がった。
1月19日(月)「仕事がたまってしまった・・・の風さん」
午前中に宅配があり、元会社トップから激励のお菓子が届いた。モタモタしているとワイフに叱られるので、すぐにお礼状をしたためた。
キャメロンで出かけ、昨日用意した文集創刊号の封書と一緒に投函するためJPへ向かった。
とってかえしてJAで現金をおろし(収支決算時期がだんだん近づいている)、ミニストップでATMを利用した後、GSで灯油を購入して帰宅した。灯油はすぐ屋外タンクに補給した。まだ満タンにならない。
まとめて用事を済ませると効率は良いが、少々疲れる。
あれこれとやることがたまってしまった。難物がいくつかあるためだ。こうなると、毎日少しずつ進めていく方法がいい。そのうち突破口が見つかるはずだからだ。それからストレス発散にやっていたラインゲームの自粛……というより、時間短縮(笑)。
明朝早くワイフを駅まで送るので、少し早目に就寝した。
1月20日(火)「心身の問題解決法・・・の風さん」
会社員時代は普通に起床していた時間に目覚めたのだが、耳鳴りがする。気分は低調。
それでも駅までワイフを送り、戻ってきてからまたベッドにもぐり込んだ。
カーテンの向こうは晴れていて明るかったが、再び起きたのは昼近かった。
自分の心身を分析してみると、3つに分けて問題を解決する必要がある気がした。3つとは、精神と筋骨と内臓である。
精神については重大な問題ではなく、他の2つが解決していけば連動して健全になるものと思われる。
筋骨は頚椎症と腰痛を抱えているため、筋トレによって解決していく。
内臓はこれまで無視してきた。内臓というより筋骨以外だろう。長年の激務(会社員、作家、学生)のため、疲労が蓄積している気がする。これは美味い物を食ったからといってどうこうなるものではなく(短期的には効果はあるかもしれないが)、休養が必要みたいだ。あちこち医者にかかっているが、ほうっておくと問題点が増えていく気がする。
天気予報を確認すると、今日は快晴だが明日は降水確率が50%である。
夕方から筋トレに出かけた。
1月21日(水)「グリューワインと再会・・・の風さん」
昨日、筋骨のトレーニングをしたらしっかり休養もとる、という作戦をとることに決めたので、今朝も11時過ぎまで寝ていた。
外を見ると曇り空で、雨は降っていない。降水確率は50%なので、そのうち降ってくるだろうと思っていた。
昨日から明日の非常勤講義(後期の最終講義となる)の準備を始めたのだが、楽勝と思われたこの準備にずいぶんと時間をとられている。
あらゆる原稿執筆だけでなく、技術的な仕事でも、生来の凝り性が出るのか、創造的な仕事ではなかなか妥協できないのだ。
こういうことは身を助けることが多いけれども、時には「どつぼにはまる(俗語)」ことになる。
明日は最終講義なので、これまでのレポートも返却したいし、模範解答例も示したい。もちろん通常の講義資料や配布資料も用意して、だ。
外出していたワイフが急いで帰宅してきたので、約束のウォーキングに出発した。まだ雨は降らない。
住宅地に隣接する区の公会堂と称する建物を外から見た。木造平屋で瓦屋根がのった古い建築物である。それに比べて我が自治会が所有する集会所のきれいなこと。贅沢な所有物のような気がした。つまり、維持したいなら、相当な(金銭的)負担を覚悟する必要がある。明るい未来がない住宅地に、それは必要なことだろうか。
ウォーキングをしながらワイフと色々な会話をするのだが、今日はこんなのがあった。
「入社してすぐ新人デビューできていたら、……」
「そうでなかったから、色々な知識や資格、経験、人脈を得ることができたのでしょう?」
「しかし、やっと本来狙っていた専業作家に近い状態になれたのに、あれこれできるために、かえって器用貧乏になっている」
「器用貧乏じゃなくて、単なる貧乏だと私は思うけど」
「……」
ついでにスーパーに寄って買い物をしたのだが、なんと、ドイツから輸入されたグリューワインを売っていた。
夕食のときに、ワイマールで購入したカップに入れて電子レンジで温めて飲んでみると、本物の味がした。
売り場にはあと1本だけあったので、明朝開店時刻を狙って買いに行くことにした。
1月22日(木)「Gショック・・・の風さん」
8時10分、起床(これでも、最近は早い方)。
外は雨だ。団地内放送が「資源回収の1日延期」を伝えていた。
作戦通りに9時開店直後のスーパーを襲撃し、残っていたグリューワインを買い占めた(と言っても1本だけだけど)。
午後の非常勤の準備(今日で3日連続)をしている途中で、痛恨のボケを再発見(相変わらずの大げさだが)。
先月のドイツ行きの前に、数年間使用していなかった腕時計に電池を入れた。これは、日ごろ使用している2つの腕時計がどちらも電波時計で、国内対応だと思ったからだ。ところが、そのうちの1台G−SHOCKが、なんと海外も対応だったのだ。もちろんドイツも。文字盤の表示が小さくて、読む気もなかったのだが、ひょんなことから気が付いた。無用な電池を購入したことになる。老眼のせいで、まさにジジイ-ショック。
今日はそのドイツへはめていった腕時計をして本山キャンパスへ行くことにした。
早目に出発し、講義前に、キャンパス近くの郵便局と銀行へ寄った。雨が強く降っていた。
今日は後期最後の講義となる。3日連続しっかり用意した講義だったので、内心自信があったのだが、実際は違った。
別に緊張しているわけでもないのに、講義スライドの意味が分からなくなったり、エクセル操作を間違えたりした。
やっと講義を終え、心を落ち着けるために講師控室でコーヒーを淹れて飲んだ。
それでもショックはおさまらない。ボケの2文字が頭の中をかけめぐる。
帰宅したら、腕時計の電池と講義の不調をワイフに伝えよう。
1月23日(金)「超多忙がようやくシフトダウン・・・の風さん」
Gショックもあって夕べは早く寝た。
今朝はワイフを最寄りの駅まで送ってから、私も予定通り出かけた。
JMAの生産技術マネジメント研究会の中間報告会が名古屋であった。
会社の後輩と会えるので、渡すべきものを持参し、首尾よく渡すことができた。
ここまでは、計画通りだったが、今日持参しようと思っていたものを一つ忘れたことに気が付いた。もう次回では遅すぎる。やれやれ。早くも今日のボケ1(通算カウント)となった。
中間報告会ではアドバイザーから貴重な意見をたくさんもらうことができた。それらのうち多くは、私自身の活動に対する重要な指摘でもあり(仕事というものは共通点が多い)、やはり外へ出て交流することは必要である。
しかし、何となく疲労感が抜けないまま、夕方5時の閉会時間になってしまった。
名古屋駅で用事の終わったワイフと合流し、帰りに軽く食事してからキャメロンで帰宅した。
今日で、退社後もず〜っと続いていた超多忙が普通の多忙になったので、久しぶりに古いVHSのビデオを取り出して鑑賞した。ハリソンフォード主演の「心の旅」である。見ているうちに少しずつストーリーを思い出した。早く小説執筆態勢に入りたいと思った。
1月24日(土)「体力はどこまで戻るか・・・の風さん」
昼までほぼ爆睡状態。思えば、自分はよく寝る子だった。日曜日など午後まで寝ていたこともあった。大きな病気はしていないが、丈夫ではなかったのだろう。それを睡眠という休養で何とか維持していたのかも。
大学に進学すると不規則な生活になり、日曜日以外にも、必要なときはよく寝ていた気がする。
それが、就職してサラリーマンになって激変した。高度経済成長の名残りがまだ強く残っていた時代だ。しかも、激務が当然のような愛知県の自動車産業に飛び込んでしまった。そこで、定年までやれたのは、人間関係の良い、つまり企業風土の良い会社に就職できたからだ。定年までやれた、という意味は、人並みに働いたということだ。定年後の制度について社内で説明会があったとき、担当者から「よく働いた皆さんは、長生きできないでしょう。せいぜい75歳までです。元気なうちにやりたいことをやりましょう」と言われ、しごく納得したものだった。
昼食に5枚切りのトーストを2枚焼いて食べた。
空は気持ちが良いほど晴れ上がっている。快晴だ。気温も高そう。
ワイフが今日はウォーキングに行かないと言うので、夕方から筋トレに行った。昨年の11月に3年ぶりに筋トレを復活して以来、通算9回目になる。体力がどこまで戻るか分からないが、少なくとも時間がかかりそうだというのを今日は実感した。
今日は、ずっと欠席状態の名古屋数学史セミナーがあった。夕方からは日本機械学会のシニア会があったが、それも欠席した。
1月25日(日)「悩んでいた原稿を執筆開始・・・の風さん」
昨夜も夕食後に映画を鑑賞した。持っていることも忘れていた「X-men」のDVDだ。
今朝も寝坊で、起床は10時。
メールをじゃんじゃん発信した後、もう1ヶ月半も悩んでいたある原稿を書き出した。いくら何でも、もう限界だった。
下調べや全体構成など、あれこれ悩んでいたので、混乱した設計図はあった。とにかく、それに基づいて書き始め、考えながら書き進めて行った。全部で原稿用紙12枚になる予定だった。
夕方からワイフとウォーキングに出かけた。今日は、これまでで最も遠いある地点まで行くことにした。ドラッグストアである。特別に買い物があるわけではない。
今日も風がなくて穏やかな陽気だった。海岸は潮が引いていて、おまけにベタ凪状態だった。静かな夕暮れの海岸ということだ。たまに車が走ってくることがあるが、歩いている人はほとんど見かけない。
夕食後も執筆を続け、予定の12枚を書き上げた。2、3回推敲したら送付できるだろう。すごく気が楽になった。
1月26日(月)「『武士道マネジメント』レビュー投稿・・・の風さん」
キャメロンで外出した。
最初に灯油用ポリタンクを買うためDIYショップに寄ったのだが、18L用がなく20L用ばかりだったので購入を中止した。複数のタンクを使い回すのに規格が統一されていないと何かと不便なので。
すぐ先のJPに寄って、当選した年賀はがきで切手シートと交換し(確率通りの枚数が当たった)、ATMで2件振り込みをした。
薬局に寄って買い置きの薬の補充をしたが、買い物メモが頭の中だったので、例によって買い忘れが1件(笑)。
最後にGSでキャメロンに満タン給油しながら灯油を2つ購入。原油安のお蔭で、ガソリンも灯油も毎週のように値下がりしている。ありがたい。特に今日は、合計で8万円近い出費をしたので、実感である。
夕食後、Amazonで、やっと大中先生の電子書籍『武士道マネジメント』のレビューを投稿できた。鳴海風として書いたので、投稿者名を書き込むべきだったが、その余裕がなかった。でも、投稿本文はプロとして妥協しない内容になっている。
1月27日(火)「ウォーキングを万歩計で・・・の風さん」
二日連続して原稿の執筆が進んだので、午前中に片付け物をした。大物は、ドイツ旅行に使ったキャリーケース2つを特殊物入れにしまったことだ。それにつれて、書籍類の移動や整理が少しできた。
午後から、某社向けの本の準備に取り掛かった。これもスタートできたことに意味がある。月末までに全体構成を考えて、先方へ提案する予定だ。
夕方からワイフとウォーキング。今日も遠くまで歩く予定だったので、万歩計を使ってみた。自分の机の引き出しの中に4個の万歩計があったのだが、すべて電池切れで、1台は電池を入れても復活しなかった(つまり壊れていた)。適合するボタン電池があって復活した万歩計をワイフが腰につけて出発した。
家から出て100メートルも歩かないうちにもう300歩近くなっていたので、この分なら帰宅するときには1万歩を超えているのではないかと思ったが、9000歩だった。約1時間半近いウォーキングでも1万歩にならない。消費カロリーでいえば、200キロカロリー程度である。少々当てが外れた。
夕食後に、最近少しずつ見ていたDVD『アナと雪の女王』を観終えた。またか? そう、まただ。ただし、今回は、音声が英語で字幕も英語バージョン。日本語のセリフをかなり記憶しているので、元の英語のセリフとの違いが分かって面白い。次はまた日本語で観て、再度英語で確認してみよう。相当にしつこいが、英語の勉強というより、私は『アナと雪の女王』の完成度の高さに学ぶべき点が非常に多いと思っているのだ。
1月28日(水)「関孝和数学研究所報告書用原稿を作成・・・の風さん」
朝から良い天気だった。昨日のウォーキングで供花を買ってきたので、今年最初の墓参に出かけた。ワイフはウォーキングでも墓参ができるのではないかと想像していたが、お墓まで4.4kmもあった。往復2時間だろうし、道路がウォーキングには向いてない。
これからはなるべく命日の墓参がいいよね、とワイフが言ったが、来月の父の祥月命日と母の命日は、私は上京中である。
昨日に続いて、某社向けの本の全体構成の検討をした。私の会社でのキャリアから専門分野にあたるので、少々自信があったが、本にするとなると、けっこう手ごわいことが分かってきた。オリジナリティも出して模倣されない本にもしなければならない。
夕方から筋トレに出かけた。昨年の11月末に3年ぶりに復活して、今日が通算10回目である。途中でウォーキングもしているので、だんだん自主トレっぽくなってきた。4月から昨年並みのハードワークになる可能性があるので、3月末まで頑張らねば。
夕食後、開所して6周年になる関孝和数学研究所の報告書用の「成果一覧」を書き上げた。6年分となると、私でもけっこう多い。
さらに求められていたエッセイとして、昨年「数学文化」に寄稿した「建部賢弘をめぐって」を選択した。
別刷りをスキャナーで読み込んでpdfにしたものを送付しようと思ったが、600DPI程度で読み込んでやっとの解像度しか得られない。しかも、データ容量が20MB近かったので、この方法は断念した。実は、元原稿にはリファインしたい点がいくつかあったので、この際だからとワード原稿に写真データも挿入して作り直すことにした。
いつもの凝り性が出たのが運の尽きで、午前2時過ぎまでかかってしまった。
1月29日(木)「疲労か、久しぶりにダウン・・・の風さん」
また日本を寒波が襲っている。朝から寒い。東日本はこれから大雪が心配されている。
晩年の父は、暖かい土地に住みたいと言っていた。最後は福島の地で、2月の寒い朝、心不全で死んだ。
亡くなった時の父よりはるかに若い自分は、その父の言葉が実感として分かるから恐ろしい。
週末までに懸案の仕事をいくつか終えるつもりで頑張ってきたが、けっこう手間取っている。
午後書斎で根気が続かなくなり、久しぶりに床にダウンしてしまった。昨日の筋トレ、一昨日のウォーキングの疲れが残っているのだろうか。
今日予定していた外出も中止した。
懸案の仕事の納期を週末、つまり日曜日に設定し直して、頑張ることにした。
1月30日(金)「メロディの鳴るロール芯を復活・・・の風さん」
8時間の睡眠で起床。このところ睡眠時間はたっぷりとっている。
外は雨。知人からのメールでは、東京は雪らしい。
トール教室のないワイフを誘ってランチに出かけた。場所はワイフが決めた。タイルの美術館に併設されているイタリアンレストランだ。
天気の悪いウィークデーでも来客があるのは、以前から決めていたスケジュールなのだろう。
こういった眺めは、会社勤務時代にはほとんど経験できなかったことだ。
景気に左右される観光や外食だが、地域によって繁盛ぶりに差が出る。ビジネススクールで学んだ経験から、その理由はある程度分かる。
のんびりした時間を過ごした後、2ヶ所で買い物をして帰宅した。
夕食後、1階のトイレにある面白い器具の機能を復活させた。
トイレットペーパーのロールを回転させるとメロディが流れる芯の電池を交換したのだ。
ワイフに言わせると、福島に帰省したころに亡き母が教えてくれたグッズで、我が家には2階のトイレにも設置してある。
1階の器具はほとんどメロディがしなくなった。
ネットで調べると、もう販売されていないらしい。しかし、分解して電池を交換した人がいたので、私も挑戦してみることにした。
慎重にやらないと壊してしまいそうな構造だったので、丁寧に分解した。使用している電池の種類は読めなかったが、大きさからLR44でも適合しそうだったので、交換してみた。
すると、運良く復活したのだ。
1月31日(土)「依頼本と筋トレ・・・の風さん」
雨は上がったが、朝から強い風が吹いていて、今日も寒い。
ここ数日、懸案の仕事を進めるだけでなく、同時に充電というか、読書や勉強も少しずつやっている。
懸案の仕事の中の一つ、ほとんど依頼されたといっていい本の執筆があるが、これの全体構成に今週の初めから取り組んでいる。
私の34年間の会社経験から楽勝かと思われた内容だが、いざ始めてみると、意外と難しいことが分かった。
実際、世の中にもあまりこの手の本はない。その理由も分かる気がした。つまり、1冊の本にまとめるには、その構成が難しいのだ。
第一に、範囲を設定するのが難しい。別のカテゴリーで構成された本の一部として登場することは多いが、これだけで本にするには、何かひと工夫必要なのだ。
そこで、読者の立場になって考えてみた。役に立つことがたくさん書いてある本、つまり実務に役立ちそうな構成ということだ。そのためには、読者のストレートな疑問に答えが並んでいる構成、どこから読んでもいい配列、それが目次を見たらすぐ見つかるのが良いと思った。
今日はワイフは教室があるのでウォーキングに行けない。
体力不足を痛感している私は、完全武装に身を包んで、夕方、いつもの時間に、筋トレに出かけた。
残念ながら新肺機能の数値は上昇どころか下降している。しかし、体重は減少しており、年が明けてから確実に1kgは減った。
夜も、依頼本の全体構成の検討を続けた。
まだ完成には遠いが、明日にはほぼ完成させて出版社に提案してみるつもりだ。
2015年2月はここ
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